石川県観光特使による観光案内

金沢びいき

越の国のお話

越の国のお話

更新日:

20150530_1539361487

金沢に住んでいて思ったこと。

それは石川県って「加賀国」「能登国」という
二つの昔の国でできているんだなぁと言うことです。
天気予報をみても「加賀地方と能登地方の天気です」と
紹介するぐらいです。

そしてその石川県の周りを見回すと北陸地方は
西の越前こと福井と東の越中こと富山に挟まれております。
さらに東に行くと越後こと新潟にたどり着きます。

昔はこの北陸地方を一つの
越の国こしと呼ぶそうです。えつではないです。)
と呼んでいたそうです。ちなみにお米のコシヒカリは
コシの国の福井で出来たという意味です。
新潟のお米ではないですよ。

hokuriku(越の国の詳細)

そしてその広大な越(こし)の国を3分割してできたのが北陸地方です。

って ( ̄□ ̄;)!! ちょっと待ってくれ。

越前と越中の間に挟まれている石川県は
何故に加賀や能登という名前になってるんじゃい。

本来なら北陸の中心地である金沢こそ越(こし)の国の
中心「越中」ではなかろうか?という疑問がでてきました。

そんなわけで調べてみました。

北陸は古くは北陸道と呼ばれ奈良時代の頃までに現在の
旧国名の制度が整えられたそうです。(厳密に言うと大宝律令)

その際に越前は現在の福井県と石川県を含む広大な領土
相当な大国であったそうです。(福井県の若狭地方を除く)
まあ、京都な奈良などの畿内から近いのでそういった処置なのでしょう。

今の福井県は見る影もないほどの小さな県ですが
昔は大きな国であった。
金沢市民としてそこは目をつむりましょう。

その越前が広すぎるということで3分割していた
越の国の越前をさらに3分割しました。

それが「能登」「加賀」誕生の瞬間です。(それと現在の小さくなった越前)
ちなみに全国の旧国の中で加賀がそういった経緯から
一番最後にできた旧国名なのだそうです。

加賀百万石とか古くさいこと誇っていながら
実は一番若い国だったりします。

そんなわけで越前と越中に挟まれている石川県は
旧越の国でありながら越がついた国名を持っていない
と言うことです。

ちなみに石川県の語源は石川県が成立した際に県庁が
石川郡にあったからです。

そして石川という地名の語源は県最大の河川である
手取川にはものすごいたくさん石があったからだそうです。
ですから手取川近辺の地名が石川ですね。

地名に歴史あり、というところでしょうか。
金沢は由緒ある歴史的な町ですが、江戸時代以降に花開いた
歴史的には結構若い町なんだと実感した次第でござる。




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